誰も書かなかった葬儀のお話『 看取り編』

132049012152513201747_4-4-48

http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/002/353/02/N000/000/010/132049012152513201747_4-4-48.jpg

どうも忘れられているようなのですが(忘れちゃいないのだろうけど)・・人って必ず死ぬのです。これは赤ん坊だろうが年寄りだろうが若かろうが何だろうがです。基本形としてはもちろん年配者から亡くなります。おじいちゃんやおばあちゃんが死に、お父さんやお母さんが死に、子供が死ぬというのが「理想」です。しかし天災があり、事件事故があり、病気がある。

2014年の御嶽山の噴火には驚きましたが、この噴火で60名以上が亡くなっているのです。風光明媚な場所でも“死”があるのです。

終末期の方の手を家族が握ったりできるのは幸せなのです。一人でひっそり亡くなる方がどれだけ多いか・・すると事件性がないか警察がはいり、亡骸は検視や検案のために家族とは遠いところへ運ばれていきます。

80や90歳になれば体内外は自然と弱まります。死ぬ様になっていく。人は死ぬってことがもっともっと周知されているならば、そんなに詳しく調べなくても「ああ、この状況なら死因はこうだな」とか、家族も納得すると思うのです。しない場合だけ詳しく調べればいい。(検案の費用だって馬鹿になりません。その支払いは家族に回ってきます)
余談ですが私は“アンチエイジング”という言葉は大キライです。勝手にやれって感じ。年を取ることに無理して逆行するイメージがあります。笑って過ごしていれば自然と若返るし仲間も増える。何より楽しいです。笑顔こそがアンチエイジングと信じています。

私は両親ともに病院で看取ることが出来ました。これって幸せだと思います。死ぬことは悲しい/寂しいことだけれども、看取れるのは幸せなのです。何か事情があって病院へ見舞いに行けない人もいるかもしれない。誰からも見舞われない人だっているのです。

人から「ありがとう」と言われる人生をどれだけ歩んでいるか?誰からも見舞いに来てもらえない、線香一本もあげてもらえない人生を歩んではいないか?
・・霜月の空を見上げてそんなことを思うのです。