誰も書かなかった葬儀のお話・・『私なりのお見送り』編

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二年前に私が葬儀担当した時の喪主様が、自宅で急逝されました。夜中に聞かされてビックリ。眠さも吹っ飛ぶというものです。

その時はお母様の葬儀で、私は病院のお迎えから打ち合わせ、葬儀施行と全て担当しました。

葬儀が終わり、長男である喪主様の自宅マンションまで後飾り祭壇(遺骨や遺影を置くミニ祭壇)を飾りに行ったのを、昨日のように覚えています。
とても綺麗なマンションで、エレベータ前までお見送りされました。頭脳明晰で柔和な方でした。

何年もやっていれば、こういうことが増えていくと思います。寂しいですが仕方ない。ただ少々早かったかと。

私は故人の前で、ご家族がいようがいまいが般若心経を詠むようにしています。

難しいお経は詠めませんが、般若心経はお遍路で散々詠んだので覚えました。せめてもの私なりの『お見送り』です。

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私は葬儀は『命』を考える、とても貴重な機会と捉えています。親の命、兄弟の命、家族の命、先輩後輩の命、友人の命、自分の命・・・
普段考えないことを、ぐーっと深くまで考えるのが葬儀です。身内を亡くした方はわかるはず。イヤっていうくらいいろんな事を考えます。

葬儀を簡素化するのは結構ですが、では略した分ほかできちんと『命』を教えているのか?「人が死ぬ」っていうことを、葬儀以外でどう教えますか?
〝お線香〟がわからない10代後半の若者を何人も目にしてきました。それでどうしてご先祖を敬う気持ちが生まれるのか?いずれ私たちだってご先祖になるのですよ。

敬ってもらおうと生きているつもりはありませんが、仕事には真剣に取り組んでいますし、逆にそれしかできません。それが私の般若心経であり、朝の参拝です。
毎夏に行く富士山の山頂では空に向かい、手を合わせます。故人と一番近くなる気がするのです。

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納棺では毎回汗だくです。納棺はお客様との距離がグッと近くなるので、真剣にやらざるを得ません。

手を抜くと一発で見抜かれてしまいます。道具の意味を一つ一つ丁寧にお伝えしながら旅支度や納棺を手伝っていただいています。

小難しいことを言うのも葬儀屋の仕事と考えます。
だって葬儀を出すって、人生でそう何回もありませんから。

『命』を考える貴重な機会です。
葬儀屋も宗教者も、そこから逃げてはいけないと思います。