誰も書かなかった葬儀のお話 『老衰は幸せって話』・・編

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病院や施設に呼ばれて、故人が100歳を超えていると神々しい気がします。老衰で亡くなった方は、福の神みたいに安らかな顔しています。一段と気を入れて合掌し、「お疲れ様でした」の気持ちでより丁寧に搬送しようと心がけます。

老衰の方の身体はおしなべて軽いです。きっと魂が燃焼してエネルギーを使い果たしたのでしょう。私はそう感じます。そうなりたいなあ〜とは思いますが、思うだけですね、きっと(笑)

医師が書く「死亡診断書」の死因の枠には“老衰”。現代医学はどうも理由を付けたいらしく、“心不全”とか“肺炎”とかって死因を書く医師も多いのですが、どう見ても高齢で“老衰”となっていると、不思議と納得。「そうだよなー」と思います。

そんなご家族もなんとなく朗らかです。納得されているのか、ある種の満足感があります。寂しさとやり切った感で家が満たされている感じで、葬儀の打ち合わせも比較的やりやすいです。

「大往生でしたね」
とは葬儀屋は言いません。それはご家族や故人と縁のある人が言う台詞で、業者が発する言葉ではありません(と思う)

死亡届で生年月日の“明治”の欄を丸で囲むこの優越感・・たまらないです。そのうち“明治”の欄は無くなると思いますが、死亡届にはさすがにまだあります。

よく考えると“老衰”って幸せだと思いませんか?
重篤な病気でも不慮の事故でもなく、身体が自然に年老いてその年齢になったということ。私は“老衰”も立派な死因だと思います。
老衰で亡くなることは、幸せなのです。