誰も書かなかった葬儀のお話 ・・『自分らしく生きる編』

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石飛(いしとび)幸三先生の本はとても感銘を受けます。

長年、大病院の血管外科の医師を務めたあと老人ホームの常勤医となった方で、大勢の“看取り”をされてきました。実際に講演も聴きましたがとても分かりやすく、帰ってすぐ曲が出来ちゃうくらい?とても良い内容でした。

病院で死は“敗北”を意味するそうで、なんとかして一ヶ月でも一秒でも長く“生かす”
のが常識だそうです。たしかに愛する家族がベッドの上で、細々でも命の灯火を燃やし続けている状況ならば、「長く生かしてあげたい」と思うのは当たり前かもしれません。
私もご家族に呼ばれて病院にお迎えに伺うとき、ベットに寝られている故人を見ると「長く闘病されたのだな」と思う方がいます。そしてご家族の寂しいながらも安堵された顔は、なんとも言えません。

ある程度の歳になれば、自分の最期(=死)について考えても良いかもしれません。考え過ぎもよくないですが、全く考えないのもよくないと思います。葬儀についてでもいいし、延命処置をするしないでもいい。どこに埋めて欲しいとかこれが見える場所がいいとか・・

これらはすべて想像力です。想像力を養うには、ほかのケースを幾つも見ると良いです。だからおじいちゃんとかおばあちゃんとか、親とか親戚のどなたかが先に死ぬのを経験するのは大事なのです。それによって“死”を体感できます。自分が先に死んでしまっては体感も何もない。先に生まれたら先に死ぬのです。しかしこれが逆になる場合があるから、また悲しいのです

石飛先生の本を読んで「胃ろうは絶対やめよう」と思いました。無駄な延命処置はして欲しくない。回復したらギターも弾けて食べて飲んでとできるなら良いのですが、そうじゃないのならばして欲しくない。幸いうちの父も母もそれほど苦しまずに逝きました。母は少々闘病しましたが、家族が「何かさせてくれたな」と思えるくらいの看病でした。あれが五年十年と続いたら、本当に大変だと思います。

「自分がこうなったら◯◯してくれ」
「私はこういうふうに死にたい」
元気なうちに話しておくといいです。危篤/重篤になったら冗談でも出来ませんから。すべては元気なうち、笑えるうちです。
自分らしく生きるって、自分らしく死ぬことです。