Posts Tagged ‘葬儀’

誰も書かなかった葬儀のお話・・『寒中見舞い編』

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悲しいかな、人が亡くなるのは年中無休です。年末が近づき周りがざわざわ忙しくなっても、亡くなる方は亡くなります。
12月に入って年賀状を用意する方も多いと思いますが、年の暮れに身内に不幸があることもありますし、逆に事情を知らず年賀状を出してしまう事も・・
その場合は“寒中見舞い”を使います。寒中見舞いは松の内が明ける1月7日以降から立春を迎える2月4日くらいのあいだに送ります。
喪中の方への新年の挨拶状として使えますし、喪中の方へ間違って年賀状を出した詫び状にもなります。
喪中を知らずに年賀状を送ってしまった方への返信にも使えるスグレモノです。(立春を過ぎたら“余寒見舞い”となります)
年末に葬儀を行った方から文章の内容を教えて下さいとよく言われます。
以下はシンプルなものですが、文例として引用しておきます。。
<例1>
寒中お見舞い申し上げます。
 早々の年賀状、ありがとうございます。
 昨年、私どもの義母が亡くなり、新年の挨拶を控えさせていただきました。欠礼のお知らせも申し上げず、大変失礼致しました。
 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 平成◯◯年1月
<例2>
寒中お見舞い申し上げます。
 皆様におかれましては穏やかにお過ごしのこととお喜び申し上げます。年頭にはご丁寧な年賀状をお送りいただきましてありがとうございます。
 実は昨年、私どもの祖父が亡くなり、新年の挨拶を控えさせていただきました。
 本来であればこちらから欠礼のお知らせを申し上げるべきところ、行き届かず大変失礼致しました。
 本年もどうぞ変わらずご厚誼のほど、宜しくお願い申し上げます。  平成◯◯年1月

誰も書かなかった葬儀のお話・・『ラストメイク編』

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2008年の日本映画“おくりびと”で一躍その存在がクローズアップされた

「納棺師」

主演の本木雅弘さんが行なうメイクとともに故人の服の着せ替え場面が印象的でした。確か笹野高史さんだったと思いますが、火葬場のおじさんの台詞も良かったですね。私は試写会から観ていました。

このラストメイクは大抵は専門の業者さんを呼んでやってもらいます。これが見事です。ご病気の程度や薬の作用、そして体質などにより死後お顔の色が変わる場合があります。口がぽかーんと開いたり目が開いたり、なかには眼球自体がが落ち込んでしまうこともあります。

メイクをすると(当たり前ですが)本当に綺麗になります。メイクをするのは女性だけでなく、男性もひげを剃ったり水の要らないシャンプーで髪の毛を洗って整えたり・・気持ち良さそうに眠ってるようになります。あとは“湯灌(ゆかん)”といって、バスタブみたいなのを用意して実際にお風呂に入れて全身スッキリ!というのもあります。長く病院で入院されてお風呂に入れなかったとか、とにかく故人がお風呂が好きだったので最後に入れてあげたい、という方におススメします。

人は病気で亡くなる場合がすべてでなく、事件や不慮の事故で亡くなることもあります。その結果悲しい話ですが、お顔が崩れてしまうこともあるのです。この場合、ラストメイクはテキメンです。元通りとまではいきませんが、対面が出来る状態まで最大限の努力をします。ただそれもご家族の意志によりますので、ご説明を差し上げてから行ないます。

ラストメイクを頼む=本木雅弘さんが来るとは思わないで下さいね。普通のお兄さんや女性が来てテキパキとやってくれます。

誰も書かなかった葬儀のお話・・『虫の知らせと看取り編』

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<虫の知らせって??>

どこかへ行こうとしたり、お店に入る前に、それを阻害されるケースがあります。携帯や財布を忘れるとか、足をけつまづく、誰かが先にいて自分がすっと入れない、妙に胸騒ぎがする、などなど・・
虫の知らせというのは結構あるもので、それをすんなりできないってことは、何かがあるということ。本当にそこに行くべきなのか、それに乗るべきなのか、少し考えたほうがいい。
この際の「虫」というのは、道教で生まれたときから身体のなかにいると言われる“三虫(さんちゅう)”に由来すると言われます。この虫が寝ている間に身体から出てきてその人間の罪悪を天帝に知らせるのだとか?(これを出て来ないように一晩じゅう眠らず監視したのが庚申講です)

ついつい便利なもの便利なものへと移行してしまいますが、虫の知らせを察知できるくらいの「野生」は、人間失ってはいけないと思うこのごろです。

<看取りできる幸せ>

どうも忘れられているようなのですが(忘れちゃいないのだろうけど)・・人って必ず死にます。これは赤ん坊だろうが年寄りだろうが若かろうが何だろうが同じです。基本形としてはもちろん年配者から亡くなります。おじいちゃんやおばあちゃんが死に、お父さんやお母さんが死に、子供が死ぬというのが「理想」です。

しかし天災があり、事件事故があり、病気がある。いつぞやの御嶽山の噴火は、御嶽山でも60名以上が亡くなっているのです。あんな風光明媚な場所で・・とゾッとしました。

病院や自宅で終末期の方の手を家族が握ったりできるのは幸せなのです。一人でひっそり亡くなる方がどれだけ多いか・・すると事件性がないか警察がはいり、亡骸は検視や検案のために家族とは遠いところへ運ばれていきます。

80や90歳になれば体内外は自然と弱まります。死ぬ様になっていく。人は死ぬってことがもっともっと周知されているならば、そんなに詳しく調べなくても「ああ、この状況なら死因はこうだな」とか、家族も納得すると思うのです。しない場合だけ詳しく調べればいい。(その費用だって馬鹿になりませんから。その支払いは家族に回ってきます)
余談ですが私は“アンチエイジング”という言葉は大キライです。勝手にやれって感じ。年を取ることに無理して逆行するイメージがあります。笑って過ごしていれば自然と若返るし仲間も増えます。笑顔こそがアンチエイジングです。

私は両親ともに病院で看取ることが出来ました。これって・・やはり幸せです。死ぬことは悲しい/寂しいことだけれども、看取れるのは幸せなのです。

事情があって病院へ見舞いに行けない人もいるかもしれない。誰からも見舞われない人もいるのです。人から「ありがとう」と言われる人生をどれだけ歩んでいるか?誰からも見舞いに来てもらえない、線香一本もあげてもらえない人生を歩んではいないか?“死に方”って結局は“生き方”だと思うのです。

誰も書かなかった葬儀のお話・・『提案の時代編』

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葬儀もずいぶん様変わりしました。

私が業界に入った頃は葬儀は自宅や町内会館で行なうなんて当たり前。テントを何張りも用意して、電球を吊るして提灯を下げて庭を造り・・町内の方が何人も手伝いで入って皆で煮物やおにぎりをつくって振る舞ったり、それはもうお祭りのようでした。会葬客もいまの何倍も見えたものです。だからお金が掛かっていました。それだけ葬儀の規模も大きく用意するものも多かったですから。

いまはというと、ご家族や近親者のみで見送る形が増えてきました。会葬者も何人もがどっと押しかけるのではなく、どなたかが代表でお参りに見えるような形式が多いです。もちろん多くの方が見える葬儀もありますが、少数です。

かといって葬儀が無くなるとは思っていません。葬儀への価値観が変わったのと思っています。昔は“盛大に”見送るのがよしとされていたのでしょう。景気も良かったですし、それだけ手間と費用をかけてもよいとする方が多かったのです。いまはずいぶんコンパクト化されました。

これから私たち葬祭業者は以前のような大きな形式ではなく、ご家族の意向に添った温かい施行を提案していかなければなりません。大きなことはする必要なないので逆に隅々まで気が配れます。お客さまとの距離も近くなるので、よりご意見を伺えると思います。

葬儀の演出としては映像・音楽・展示などがありますが、味覚や嗅覚、触覚に訴えても良いと思います。想像力をフル活用して、感動を生み出すときなのです。

肝心なその内容ですが・・(それは企業秘密なので教えられません笑)

これからの葬儀屋に必要なのは“提案力”です。

誰も書かなかった葬儀のお話・・『言葉を発する』編

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「そんなこと言わないでも(相手には)わかるはず」
よく聞きますし、日本人には一般的に思われることですね。私も普通に思っています。
しかし、こと葬儀におかれては、率先的に“言う”ということが、相手(特に年配の喪主様)に効果的だという事があります。
「お大事にして下さい」「風邪ひかないで下さい」
「足元気をつけてくださいね」
「お具合はいかがですか?」
気遣いと言えばそれまでですが、そんな次元を超えて本当に思ってそれを言う・・これが大事です。
「寒くないですか?」「昨日は眠れましたか?」
「タクシー呼びますか?」
「またお茶飲みに行きますね」
なんだっていいのです。もし必要ならその行動を起こせばいい。
究極を言えば・・思っていようがいまいが、“言う”という行動が肝心です。
私は数十年前に母を亡くしました。まだ心から母親が恋しいと欲する年齢でした。
その時にいろんな方から慰めや励ましの言葉をいただきましたが、なかでも覚えているのが、兄の友人であったM氏からの
「おい準、困ったことがあったらなんでも言えよ」
という言葉でした。まだ十代で何が何だかわからないような時分に母を亡くし、正直憔悴しきっていました。M氏のその言葉はとても心に響きました。その後M氏に何かお願いをしたということはないのですが、その言葉だけで私には十分でした。なんだか安心したのを覚えています。
言葉はタダです。言葉だけで良いのか?と思う方もいるでしょうが、言葉だけで良いのです。非常事態でも「言わなくてもわかるだろ?」と高をくくってしまい、言葉も発しないほうがよほどおかしい。
先日、葬儀のお世話をさせていただいたお宅に伺った際に、私が何気なく
「ここに来ると親戚のおばさんの家に来た気がします」
と言いました。実際そう思ったし、喪主様も私のおばさんくらいの年齢でしたのでそう言いました。
それが喪主様には余程気に入ったようで、その後電話でお話しした際も
「いつでもお茶飲みに来て下さいね。親戚のおばさんですよ」
と楽しそうに自らおっしゃるのです。
私は言葉のチカラを感じました。そうか、あの言葉は喪主様に響いたのだなとしみじみ思いました。
もしそれが哀しみを少しでも癒したり、何かを忘れさせるのなら・・いくらだって発します。だって言葉はタダなのですから。私自身、M氏からの言葉で救われたのです。その恩を今度は私が誰かに返す番なのです。
言葉の次は歌で返したいです。言葉は目の前の数人にしか言えませんが、歌ならもう少し多くの方へ届ける事ができます。届けたい歌がいっぱいあります。
『心に残る葬儀』・・2017年の目標です。
*友引毎に更新

誰も書かなかった葬儀のお話・・ 『人格・肉体・心の時代編』

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人が亡くなると、大抵ほとんどの方は
「一番早く葬儀が出来る日程でお願いします」
とおっしゃいます。
皆さん仕事や用事があるだろうし、学生さんなら勉強もあります。葬儀なんて早くやりたいという気持ちはじゅうじゅう分かるのですが、私はその“一刻も早く”という気持ちには意義を唱えています。
夏場であれば、人の身体の痛みは早いです。でも防腐の技術は発達していますし、早めに納棺(柩のなかに身体を納めること)さえすればドライアイスの交換だけである程度日数は保てます。冬場なら多少納棺が遅れても、気温が低いのでドライアイスさえ当てていればそれほど神経質になることもありません。
私が言いたいのは、
「故人といる時間も大事にしてもらいたい」
ということです。
生きている間は、好い事も悪い事もいろいろあるにせよその間は人と人との関係性で生きてゆく・・言わば“人格のぶつかり合い”です。笑ったり泣いたり、悔しい事もいっぱいあるでしょう。そのなかで人は何かを学んで成長するのだと思います(何も学ばない人もいますが笑)
人が死ぬと、それは“心の対話”に変わります。
死んでしまえばもう目の前には現れません。「あの時はこうだったなあ」とか「そんなこともあったなあ」という思いに駆られます。
死んでしまったのに、まだ目の前にその人がいる・・それがお身体だけがある状態=肉体だけの時間です。いないのにいる、いるけどいない・・そういう時間ですね。
葬儀を急ぐ方は、この時間を短くしようとしているのです。
私の母は夜中に亡くなってその晩がお通夜でした。友引の関係でそういう日程になったのですが、悲しむ間もありません。何がなんだか・・もうしっちゃかめっちゃか。しかも疲れ方が尋常じゃありません。いまの私の考えからはとてもかけ離れた日取りでした。
父の場合は葬儀まで中一日ありました。その晩は父の隣に寝てなんとも言えない時間を過ごせた気がします。子供の頃、父の横で就寝していた記憶が蘇りました。それでもあともう一日くらいあっても良かったといまは思います。
故人のことがあまりに憎く、早く灰になってしまえ!のような感情があるのなら別ですが(スゴイ感情ですが・・)、普通であれば最低でも一日くらい何もしない日があると、故人のことを偲べると思います。葬儀前は親戚に知らせたり誰かを迎えに行ったり、服を揃えたり葬儀の段取りしたりと、なんやかんや忙しいのです。
みなさんよく仰るのが
「何日も先かと思ってたけど、あっという間にお通夜当日が来ちゃいました」
です。そういうものなのです。
生きている間の時間も戻りませんが。肉体とだけ過ごす数日間も二度と戻りません。あとは“心の対話”が死ぬまで続くのです。
“人格のぶつかり合い”が“肉体だけの時代”を経て、“心の対話”へと入ります。残される者は三つ目の“心の時代”をどう生きるかで、後半人生の輝きが変わります。
私から言わせると、心なんて変わりやすいものはないと思っています。さっきまであれほど怒っていたのに、ふっと空を見上げただけで気持ちが落ち着いたりするのです。なるべく気持ちは落ち着いているに限ります。行動はゆっくり慌てず行なえば、運を呼びます。
どうか皆さんにも「早く早く」ではなく、「こういう時間もあるな」とどっしり構えてもらいたいのです。慌てなくても数十年もしたらみな死にます。みーんなです。100%、ハズレなし。
そのうち会えますので何も慌てないで良いのです。
*友引毎に更新

誰も書かなかった葬儀のお話・・『世話焼きおばさん編』

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 葬儀の際の特に打ち合わせのときに、ご家族に混ざって色々と世話を焼く方がいらっしゃいます。
今しがたに大事な人を亡くして動揺している家族に代わって、何かと動いたり気を揉んで下さる方です。
「こういう時はこうするのよ」
「北枕に寝かせてね」
「団子はこう作るの」
「お花をすぐ飾りましょう」・・云々。
(多くの場合はおばさんが多いです)
親戚の方なのか、仕事上のおつきあいの方なのか・・
こちらは最初判断できません。気の回る人がいるんだな、とは思います。
それが打ち合わせの進行上助かる場合もありますが、その方が言ったことで肝心のご家族の判断が鈍る場合があります。
本当はAというコースでやりたいんだけど、その方が言うもんだからBコースにしないといけない・・みたいな感じです。
葬儀を出されるのは喪主様(ご家族)です。脇から何かと口を出す方がお金を出すことはまずありません。
葬儀にはいろんな方がいらっしゃるので、私たちが準備していると声をかけてくる方がいらっしゃいます。
「おい葬儀屋、あそこにもテント建ててくれ」
「ここに通路作ってくれ」
「受付に人を立たせてくれ」
結構簡単におっしゃいます(笑)。中にはお金がかかるものがありますので即答はしません。その場では
「喪主様に確認してから対応します」
と答え、あとで喪主様にその旨を伝えると大抵返ってくる答えが
「いいの、あの人・・いつもそうやって言うの。無視して」
です。
口で言うのって“ただ”なのです。お金はかかりません。でも実際にその通り動いたり道具を出すとお金がかかるのです。
本当にご家族のことを思っておっしゃる言葉と、ただの思いつきや思い込みで仰る言葉を、こちらは瞬時に判断します。
私だってそこまで馬鹿じゃないから、言われてみて
「なるほど、その方がご家族にも優しいし効率的だな。故人様も喜ぶな」
と思ったら、その方向で動きます。
しかしご家族の判断を鈍らせたり、迷わせたりするのであれば、そこは黙っているのも愛情だと思うのです。
何度でも書きますが、そんなトラブル?を起こさないためにも、前もって相談しておくことが大事です。前もって話だけでも聞いておけば、その場になってジタバタしません。いや、ジタバタはどうしたってします。混乱もします。家族が亡くなるってことは一生に何度とない大イベント。混乱しない訳が無い。
動揺や迷いを少しでも少なくするために、話だけでもしておいていただきたい。お身体の帰りはこうする、こういう葬儀にする、写真はこれにする・・・
細かい内容はその時でよいです。大まかな流れだけでも知っておけば、それほど慌てません。
「長く生きて欲しい」
普通は思いますが、人間には寿命があるのです。残念ながら太刀打ちできない病気もある。回復して欲しいと願いつつも、転ばぬ先の杖・・万が一の際の場合も考えておくのはそれほど悪いことでしょうか?
最近の傾向として、どうも死ぬということを考えないようにしたり、隠そうとしている気がしてなりません。
人でも動物でも、いつか必ず「死ぬ」のです。これは産まれる可能性よりも遥かに高い100%の確率です。100%をなぜ考えないのか?だからいま生きている(生かされている)私たちは何をしなければいけないのか・・それを感じて生きていくのです。
・・世話焼きのおばさんの姿を見ながら、そんなことを思う秋です。
*友引ごとに更新

誰も書かなかった葬儀のお話・・『喪主様は疲れている編』

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ある方が亡くなり、我々葬儀屋が駆けつけ、ご自宅へ故人様を搬送し、防腐処置を行ない、お参りの道具(前机)を飾り、打ち合わせに入る・・

これが多くの場合の大まかな流れです。

ご家族のご意向・ご都合に沿って打ち合わせは進めていきます。

日程、施行場所、祭壇の種類、返礼品、お料理、お花・・・

菩提寺様がいらっしゃればご住職のご都合も踏まえて進めないといけません。

短時間に多くのことを決めますので、結構スタミナを消耗します。

 

一方で、なかなか決まらないご葬家もいらっしゃいます。

葬「返礼品はどうしますか?」

喪「まだ弟と相談しないと・・」

葬「お花の種類はどうしましょうか?」

喪「もう一日待っていただけますか?」

こういう方は一事が万事。迷う気持ちもわからなくはないですが、私どもは発注もしなければいけないので、ある程度期限を設けて決めていただくようにしています。

またはその日は簡単な説明だけにして、翌日などに再び打ち合わせをします。多少時間を置くことで冷静になれたり、気力が上がってきて内容の濃い打ち合わせが出来ます。病院などから帰ってきた状態だと疲労困憊されています。睡眠もろくに取られていない場合があるので、その日は簡単に説明だけして、再度打ち合わせを致します。いずれにせよ写真などはまずご用意されていませんから、写真を取りにまた行くことになるので良いのです。

何度か家に伺うことで信頼度が増します。何気ないご意見も聞けたりするので、葬儀施行の際のヒントになります。

「(故人は)甘いものが好きだった」

「毎晩ワインを飲むのが習慣だった」

「◯◯の歌が好きだった」

など聞けたら儲けもの。何気なくそれらを祭壇に飾ったり葬儀のどこかで流したりします。レンタルショップへ行けば大抵の歌手のCDがありますし、余程の限定品でなければお店で手に入るでしょう。誕生日は診断書に書かれていますので、誕生日が近ければ小さいケーキなどを飾ったって良いのです。故人じゃなくても喪主様の誕生日が近ければ、私はそれでもお祝いすることがあります。誕生日は誕生日。誰だって祝われたら嬉しいのです。ケーキだってカードだってお花だっていいのです。伝えることが大切です。

要は“気持ち”です。どんなに安価だろうが、丁寧なお辞儀をしようが心がこもっていなければ仕方ない。気持ちは必ず伝わります。もし伝わらない気持ちならば、こちらがその程度の気持ちだったのです。

さりげなく心を尽くす・・これが大事だと思います。

誰も書かなかった葬儀のお話・・『分骨&死への向き合い方編』

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火葬が終わった遺骨を分けることを分骨(ぶんこつ)と言います。実際お住まいの地域とは別に、実家など違う場所にあるお墓にも納骨したいときに分骨をします。

分骨するには、分けたお骨を入れる容器と分骨証明書が必要です。容器は葬儀屋に言えば用意してくれますし、分骨証明書は火葬場で発行してくれます。いずれも当日ではなく事前から言っておくと手続きがスムーズです。
私などは骨を分けるというとなんとなく身体が離れてしまうイメージがありますが、分骨を希望されるご家族も度々いらっしゃいます。「古事記」や「日本書紀」には

“殯(もがり)”

という言葉が出てきます。これは日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること(ウィキペディアより)。殯によって日本人は、死を受け止め、向き合い、乗り越えてきたのでしょう。白骨化するまで見届けるとは、それだけ時間がかかるということです。すぐに忘れるなんてできっこありません。

人それぞれの“死との向き合い”があります。歳をとったり、重い病気になったりすれば死のことを考えるでしょうが、普段から考えておいて何も悪いことはありません。一番してはいけないのは死を見ないこととしたり、死を覆い隠すことです。若い親はすぐおじいちゃんやおばあちゃんの亡骸から子供を離そうとします。その子は人生最高の「社会勉強の機会」を失います。葬儀は命を学ぶ最良の機会なのです。

かつては戦争や飢饉があり、“死”は身近なものとして存在しました。それらは遠い存在となり、いきなり“死”というものが不慮の事故や思いもがけない自然災害などで降り掛かって来るのです。死に対する免疫が出来ていないのです。死から逃れることは誰一人としてできないのに。。

事故や災害で亡くなる人を思えば、家族に見守られて亡くなることがいかに幸せかが分かるのです。

誰も書かなかった葬儀のお話・・『雪の発生編』

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葬儀業界では、人が亡くなることを“発生”と言います。

「発生しました」

と葬儀屋が言えば、それは“人が亡くなった”ことを指します。

一日24時間一年365日、人は亡くなります。雪の日も例外ではありません。

「雪が降ってるから明日に」

は使えません。雪の日だってお迎えに伺います。

ハッキリ言って東京は雪をナメています。2〜3センチも降れば交通は大混乱。電車は止まり道路はまともに機能しません。

雪の日も発生すればお迎えに上がりますし(時間は大目に見てもらいますが)、葬儀があればお通夜だって出棺だって致します。

雪のなかの出棺があれば霊柩車は開式前に到着していたりします。遅刻は許されませんから。

雪のお通夜の日に、開式に喪主様が間に合わず、喪主抜きで開式したこともありました。

ある日、雪の降るなか病院へお迎えへ。

雪は止みかけていたので自身で運転する方法もありましたが、雪の運転は慣れていないし裏路地の雪も怖かったので、寝台車の運転手さんに近くまで来てもらって一緒に動きました。寝台車はスタッドレスタイヤを履いていますから安心です(見事な危機管理!?)

故人様をご自宅へ安置して打ち合わせをします。雪のなかの帰宅で喪主様も感慨深げです。菩提寺様もいらっしゃったので日程を確認していただき、大体のことを決めてドライアイスを故人に当てます。

寝台車は先に戻ってもらい、私は電車とバスでゆっくり帰りました。
葬儀屋のカバンってとんでもなく重いのですが、各駅停車でゆっくり帰りました。

雪の日だって迎えに行くのが葬儀屋です。
でも雪道は急げませんので、できたら晴れか曇りの日がありがたいのが私どもの本音ですね。。